田舎工房化計画 その2〜工房スタートへ! [日記]
昨年のお盆の母の病気から始まった、一連の田舎工房化計画の動き。
Facebookでは報告してましたが、こちらのブログでは昨秋に動き始めたばかりの「田舎工房化計画〜その1〜」しかアップ出来てませんでした。
(ご覧になっていない方はよかったら↑読んでください。)
昨秋から今日までの動きをご報告させていただきます。
* * * * *
田舎工房化計画というのを立て、昨9月に譲っていただいたミシンと革漉き機を東京から運んできた時は、まだ小屋の中は何も手付かず状態でした。
というよりは、この時は小屋を工房にするつもりはそれほどなく、家の縁側に機械を置いてチマチマやろうかななんて思ってたほどでした。
でも話の末、小屋の1階を工房にすることになり、リフォームも視野に入れながら、まずは物を処分することから始めました。
網を処分するのは父。
鉛の重りを全て外さなければならないので、大変な作業な上、切ない思いもしたはずです。
父も医者から「仕事は辞めるべき」と言われながらも仕事をしてました。
母が病気になり復帰は見込めなかったので、父は仕事を辞める方向で、一部の網を残して大半を処分していきました。
ボクは月1、2回田舎に帰っては、その網などの処分品を軽トラに山盛りに積んで、処分業者に持っていったりしてました。
また工房開設の模索として、商品の最後の方の工程を田舎で仕上げたりしてみました。
そんな9月〜11月でした。
そして正月。
正月ぐらいには、母は奇跡的な回復を遂げ、家に戻っていました。
とはいえ、病気前とは体も生活も一変しています。
今も薬を飲み、ときどき通院しながらの生活です。
そしてボクはというと、正月ぐらいはゆっくりしたいとこでしたが、バレンタイン商戦で名古屋タカシマヤさんにキーコロネを約150個納品しなければならなかったため、まさに正月大返上で朝6時から仕事をするというハードな正月を田舎で過ごしました。
小屋も少しずつ片付いていってました。
ただ、床がもう抜けそうだったので、リフォームは避けられず、床のみ張り替えることになりました。
梁などは立派に作ってあるので、建物自体の心配は無し
ボクの仕事的にはもう車がないとキツいし、田舎工房化計画には欠かせないので、母親が乗っていた乗用車(セダン)を借りて、この正月に東京へ持っていきました。
その後の東京⇔田舎(新潟県村上市)の往復は、レンタカーや新幹線ではなく、車で行き来することになり、荷物の移動もしやすくなりました
さてリフォーム工事はと言うと、3月中旬にお願いする事になり、2月3月は片付けの最後の追い込み!
ここまで片付けると、いろんな物が出てきます
古いつづらを開けてみると、中から祖父?のものと思われる衣類が。
祖父はボクが2歳の時に他界してるので、昭和中期にタイムスリップした感じです
どれも捨てざるを得ない服ばかりだったのですが、帯だけはなんとか使えそうだったので残しました。
それからつづらもボロボロだったけど残してみました。
ボクが子供の頃に壊れたテレビは当然捨てます。(ちょっともったいないけど)
味噌部屋(2畳)には大きな味噌樽が2個あって、昔は・・・というか、ボクが東京に出てくる頃までは普通に味噌は集落で共同で作るものでした。
その味噌樽ももったいないから何かに使いたかったのですが、泣く泣く処分する事に。
そんな味噌樽を何年ぶり?に開けると、無いと思ってた味噌が残ってて母親ビックリ
さすがに熟成し過ぎてて食べれませんでした。
またおもしろいのが、20年以上前に他界した祖母が一斗缶に入れたと思われる乾燥させた大豆が出てきた事
それで煮豆を作ってみたら、なんとも絶品だったのです
そんなこんなで、工事前の最後の帰省ではなんとかここまで片付けました。
大きな冷凍庫2つの移動と、ゴミの処分は兄達にまかせ、東京へ。
そして3月中旬、工事開始
ボクはその初日にまた田舎へ。
ボクが着いた時には床は剥がされていました。
床の下地材は24mm厚のしっかりしたものを入れてもらいました。
フローリングは・・・ほんとは無垢材フローリングを入れたいとこだったけど、とにかく安く済ませなければならなかったので、普通のフローリングになりました。
窓が実質ひとつしかないこの暗い部屋で細かな仕事をするには、照明は多すぎるぐらいでいいと思い、天井照明はしっかりいっぱい入れました。
そして完成
冷凍庫2つは味噌部屋へ行きました。
こうして田舎の新工房はまず箱が出来上がりました。
3月、お彼岸前のことでした。
「いよいよABALLI新潟工房スタート!」につづく。
P.S 捨てずに残した骨董品?
2014-07-11 15:55
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