田舎工房化計画 〜その1〜 [日記]
最近ブログのアップが滞りがちな訳ですが・・・
実は今年のお盆を境に、プライベートでも仕事でも目まぐるしくなりまして・・・
頻繁に田舎へ帰ったりしています。
それはお盆に帰省した初日のことでした。
新潟駅で乗り換え時間に母親に電話したところ、具合の悪い声で「いま(近所の)病院で点滴受けている」とのことでした。
実家に着いて少しすると、病院からで「新潟市内の病院へ緊急移送しなければならない」との連絡が。
病院へ行ってみて母の様子を見て、これはただ事ではないと感じました。
田舎から新潟市内へは100km。
救急車だと2回乗り継がなければならないようで、車で向かった方が早いということになり、義姉がワゴン車で連れて行き、ボクと父は別の車で・・・
そんな不安なお盆を過ごして一旦東京へ戻ってきました。
その2週間後に手術とのことでボクもまた新潟の病院へ行きました。
手術の結果は期待するものではありませんでした。
母は自分の(魚の)行商の仕事と、父の漁の手伝いの仕事で、お盆までは忙しく仕事をしていたのですが、もちろん仕事はもう完全に無理になってしまいました。
父も心臓が弱っていたので、一人での漁には不安があり、仮に漁に出ても港でセリに出す仕事をする人がいなくなったわけで、結局父も漁師の仕事を断念することになりました。
お盆前にあり得ないぐらいの甘鯛が連日獲れていたので、父の心中を察すると寂しく思いました。
ウチの船の操縦室
そんな訳で両親共々、急に仕事を辞めざるをえない状況になり、外装をリフォームしたばかり家の裏の網置き場の小屋を「もったいないなぁ〜」と母が言っていたので、「それなら自分が工房にする」という流れになりました。
外装リフォームしたばかりの家の裏の小屋
家の裏にあります
この奥。
実は以前から自分の中での将来的な仕事の計画として、田舎に(どこか建物を借りて)工房を構えて人を雇って量産体制を整えるというプランは一つ持っていました。
そうすればある程度両親を見れるし、田舎に雇用を生み出せると考えてたからです。
でもそれは数年後ぐらいかなと考えていました。
数年は両親とも動ける状態だろうと思っていたからというのもあるし、自分の今の収入では無理というのもありました。
でも今回このようなことになり、自分が家の裏の小屋を工房にしてそこで人を雇い、量産体制を整えれば、あまりお金を掛けずに工房を作れるし、自分は新作作りなどに専念できるし、家で一人になってしまった父の面倒も少し見れる・・・
兄は新潟市内で働いてるので週末しか帰れないし、姉もそう頻繁に来れない。
自営業の自分なら動きやすいから、動くなら自分しかいないと思いました。
前の日記で愚痴ったように、6月ぐらいは自分の仕事の環境に悶々としていたワケですが、田舎に工房を作ることでいろんなことが解消されることになります。
なんだかそう思うと、天命と言うかなんというか・・・こうなるようになっていたのかもしれません。
こうなるようになっていたと思われるもう一つのお話が実はありました。
母が緊急入院したまさにその日、ボクはお世話になっている方からの電話を病院で受けました。
それは偶然にも「ミシンを処分したい人がいるんだけど、要らないか?」というお話でした。
田舎工房化計画を現実的に思いついたのはまさにその電話ででした。
後日そのミシンをお持ちの方の家に実物を見におじゃまして、安く譲っていただくことが決まりました。
そしてその日、そのお宅からさほど遠くないところにお住まいの、ボクの革の恩師と数年ぶりにお会いすることにしていました。
機関車が料理を運んでくるスゴいお店でごちそうになりました。
右が恩師の松浦先生、左が歴史小説家(元国語教師)である旦那さん。
ボクがこの道に進むのに大きく影響した、ボクにとってとても大切な方です。
そんなお二人とランチをごちそうになってる時に、田舎工房化計画のお話と、ついさっきミシンを見て来たという話をしていたのですが、ふと先生から「ねえ、革漉き機使わない?」とというお話をいただきました
革漉き機はミシンよりも真っ先に必要な機械で、今回革漉き機はミシン屋さんから買うつもりで、ミシン屋さんに行って在庫を確認して値段を聞いて、買う予定でいました。
そんな革漉き機を譲っていただけるということになったのです
実は先生も少し前に大病を患って、制作活動はほとんど出来なくなってしまったとのことでした。
そんな訳で、このタイミングにミシンと革漉き機が安く手に入ることになり、9月の上旬にレンタカーを借りて、ミシンと革漉き機をいただきにあがり、そのまま田舎へ車を飛ばしたのです
ちょうど田舎に帰る土日だけ母親が一時帰宅できるとのことで、家に普通に母親がいるという何気ないことがとてもうれしかったです。
そして両親と兄との話で、小屋を工房にする話が現実的に進みました。
まずは父が大量の網を処分できる状態にしなければなりません。
鉛の重りを外さなければならないので、大変な作業です。
とりあえずミシンと革漉き機を持ってくることと、小屋の中の網を処分すると言う話が進んだという、田舎工房化計画の第1弾を終え、東京へ戻って来たのですが、なんだか異常に疲れが溜まって1週間ほど体調が回復しませんでした。
そして9月下旬の3連休にまた母が一時帰宅できるというので、また田舎へ行ってきました。
田舎工房化計画の第2弾です。
小屋には重りを外した処分する網がいっぱい積まれてました。
それを軽トラで処分場に運んできました。
といってもまだまだ大量に網やら何やらがあるので、時間は掛かりますね〜。
まだまだ漁に出たかっただろうにと父のことを思うと複雑なのですが、工房化が遅くなると自分も田舎へ帰るのが遅くなり、父が一人になる時間も長くなってしまうので、何とも切ないところです。
今回は親戚も見舞いに遠くから来ました。
ボクと同じくどうでしょう藩士(=「水曜どうでしょう」マニア)のいとこを、家からすぐのあの聖地へ連れて行ったりしました。
そう、だるまやウイリー事件の現場です
(分かる人だけ分かってもらえればいいです。)
田舎工房化計画の第2弾では、市役所支部(旧町役場)と商工会議所にも行ってきました。
ウチの数軒となりの家の人は地元商工会議所のトップで、彼岸の墓参りの時に偶然会ったのでちょっとだけ話はして「応援するぞ〜」と言われてたのですが、相談に行ってみると「さっそぐ来たがぁ〜(早速来たな)」と奥に通され、女性の相談員の方からいろいろと提案していただきました。
どうやら今の東京でやってる個人事業とは別会社を作って、田舎で起業するカタチにした方が良さそうだと言うことが分かりました。
そのタイミングは来年の春。
若干遅いがある意味ちょうどいいかも・・・
ということで、今はその方向で田舎工房化を考えています。
今回の帰省は、10月の「工房からの風」の什器で使う木を山から切ってくることも予定してたので、ウチの山に行ってきました。
な、なんだ?いつも異常にうっそうとしてて車も通るのがやっと
しかも今回、初めてボク一人で山に入ります
ちょっと怖いです
沢を進んで・・・
辿り着きました。
早速、折れてる椿の木がちょうど良さげだったので切りました。
こんな感じ
山に入るのは好きなのだけど、この時期だと蚊がスゴい
蚊に襲われながらも「この木が使えそう・・・」と切りました。
おかげで手はスゴいことに
ひとりだと寂しいので、あまり長居はせずに帰りました。
小さい椿の木を工房からの風で使う予定です。
東京に戻る前の晩、持って来ていた仕事をやっていると、窓に来客が・・・
(どちらもガラス越しなので、中には入ってません。)
東京じゃなかなか無いよな・・・こんなこと。
田舎の浜
そんなこんなで田舎工房化計画の第2弾も終了し、東京に帰って来た訳ですが、またしても体調不良
ひょっとすると田舎に帰ると普段飲まない量のビールを飲むからかも?
父に注がれるとやっぱり飲んでしまいます
おかげで仕事が全然進まない・・・
卸先にはご迷惑お掛けしております
工房からの風もどこまでイメージ通りに出来るかが・・・難しいとこです
長くなりましたが、このへんで近況報告を終えます。
実は今年のお盆を境に、プライベートでも仕事でも目まぐるしくなりまして・・・
頻繁に田舎へ帰ったりしています。
それはお盆に帰省した初日のことでした。
新潟駅で乗り換え時間に母親に電話したところ、具合の悪い声で「いま(近所の)病院で点滴受けている」とのことでした。
実家に着いて少しすると、病院からで「新潟市内の病院へ緊急移送しなければならない」との連絡が。
病院へ行ってみて母の様子を見て、これはただ事ではないと感じました。
田舎から新潟市内へは100km。
救急車だと2回乗り継がなければならないようで、車で向かった方が早いということになり、義姉がワゴン車で連れて行き、ボクと父は別の車で・・・
そんな不安なお盆を過ごして一旦東京へ戻ってきました。
その2週間後に手術とのことでボクもまた新潟の病院へ行きました。
手術の結果は期待するものではありませんでした。
母は自分の(魚の)行商の仕事と、父の漁の手伝いの仕事で、お盆までは忙しく仕事をしていたのですが、もちろん仕事はもう完全に無理になってしまいました。
父も心臓が弱っていたので、一人での漁には不安があり、仮に漁に出ても港でセリに出す仕事をする人がいなくなったわけで、結局父も漁師の仕事を断念することになりました。
お盆前にあり得ないぐらいの甘鯛が連日獲れていたので、父の心中を察すると寂しく思いました。
ウチの船の操縦室
そんな訳で両親共々、急に仕事を辞めざるをえない状況になり、外装をリフォームしたばかり家の裏の網置き場の小屋を「もったいないなぁ〜」と母が言っていたので、「それなら自分が工房にする」という流れになりました。
外装リフォームしたばかりの家の裏の小屋
家の裏にあります
この奥。
実は以前から自分の中での将来的な仕事の計画として、田舎に(どこか建物を借りて)工房を構えて人を雇って量産体制を整えるというプランは一つ持っていました。
そうすればある程度両親を見れるし、田舎に雇用を生み出せると考えてたからです。
でもそれは数年後ぐらいかなと考えていました。
数年は両親とも動ける状態だろうと思っていたからというのもあるし、自分の今の収入では無理というのもありました。
でも今回このようなことになり、自分が家の裏の小屋を工房にしてそこで人を雇い、量産体制を整えれば、あまりお金を掛けずに工房を作れるし、自分は新作作りなどに専念できるし、家で一人になってしまった父の面倒も少し見れる・・・
兄は新潟市内で働いてるので週末しか帰れないし、姉もそう頻繁に来れない。
自営業の自分なら動きやすいから、動くなら自分しかいないと思いました。
前の日記で愚痴ったように、6月ぐらいは自分の仕事の環境に悶々としていたワケですが、田舎に工房を作ることでいろんなことが解消されることになります。
なんだかそう思うと、天命と言うかなんというか・・・こうなるようになっていたのかもしれません。
こうなるようになっていたと思われるもう一つのお話が実はありました。
母が緊急入院したまさにその日、ボクはお世話になっている方からの電話を病院で受けました。
それは偶然にも「ミシンを処分したい人がいるんだけど、要らないか?」というお話でした。
田舎工房化計画を現実的に思いついたのはまさにその電話ででした。
後日そのミシンをお持ちの方の家に実物を見におじゃまして、安く譲っていただくことが決まりました。
そしてその日、そのお宅からさほど遠くないところにお住まいの、ボクの革の恩師と数年ぶりにお会いすることにしていました。
機関車が料理を運んでくるスゴいお店でごちそうになりました。
右が恩師の松浦先生、左が歴史小説家(元国語教師)である旦那さん。
ボクがこの道に進むのに大きく影響した、ボクにとってとても大切な方です。
そんなお二人とランチをごちそうになってる時に、田舎工房化計画のお話と、ついさっきミシンを見て来たという話をしていたのですが、ふと先生から「ねえ、革漉き機使わない?」とというお話をいただきました
革漉き機はミシンよりも真っ先に必要な機械で、今回革漉き機はミシン屋さんから買うつもりで、ミシン屋さんに行って在庫を確認して値段を聞いて、買う予定でいました。
そんな革漉き機を譲っていただけるということになったのです
実は先生も少し前に大病を患って、制作活動はほとんど出来なくなってしまったとのことでした。
そんな訳で、このタイミングにミシンと革漉き機が安く手に入ることになり、9月の上旬にレンタカーを借りて、ミシンと革漉き機をいただきにあがり、そのまま田舎へ車を飛ばしたのです
ちょうど田舎に帰る土日だけ母親が一時帰宅できるとのことで、家に普通に母親がいるという何気ないことがとてもうれしかったです。
そして両親と兄との話で、小屋を工房にする話が現実的に進みました。
まずは父が大量の網を処分できる状態にしなければなりません。
鉛の重りを外さなければならないので、大変な作業です。
とりあえずミシンと革漉き機を持ってくることと、小屋の中の網を処分すると言う話が進んだという、田舎工房化計画の第1弾を終え、東京へ戻って来たのですが、なんだか異常に疲れが溜まって1週間ほど体調が回復しませんでした。
そして9月下旬の3連休にまた母が一時帰宅できるというので、また田舎へ行ってきました。
田舎工房化計画の第2弾です。
小屋には重りを外した処分する網がいっぱい積まれてました。
それを軽トラで処分場に運んできました。
といってもまだまだ大量に網やら何やらがあるので、時間は掛かりますね〜。
まだまだ漁に出たかっただろうにと父のことを思うと複雑なのですが、工房化が遅くなると自分も田舎へ帰るのが遅くなり、父が一人になる時間も長くなってしまうので、何とも切ないところです。
今回は親戚も見舞いに遠くから来ました。
ボクと同じくどうでしょう藩士(=「水曜どうでしょう」マニア)のいとこを、家からすぐのあの聖地へ連れて行ったりしました。
そう、だるまやウイリー事件の現場です
(分かる人だけ分かってもらえればいいです。)
田舎工房化計画の第2弾では、市役所支部(旧町役場)と商工会議所にも行ってきました。
ウチの数軒となりの家の人は地元商工会議所のトップで、彼岸の墓参りの時に偶然会ったのでちょっとだけ話はして「応援するぞ〜」と言われてたのですが、相談に行ってみると「さっそぐ来たがぁ〜(早速来たな)」と奥に通され、女性の相談員の方からいろいろと提案していただきました。
どうやら今の東京でやってる個人事業とは別会社を作って、田舎で起業するカタチにした方が良さそうだと言うことが分かりました。
そのタイミングは来年の春。
若干遅いがある意味ちょうどいいかも・・・
ということで、今はその方向で田舎工房化を考えています。
今回の帰省は、10月の「工房からの風」の什器で使う木を山から切ってくることも予定してたので、ウチの山に行ってきました。
な、なんだ?いつも異常にうっそうとしてて車も通るのがやっと
しかも今回、初めてボク一人で山に入ります
ちょっと怖いです
沢を進んで・・・
辿り着きました。
早速、折れてる椿の木がちょうど良さげだったので切りました。
こんな感じ
山に入るのは好きなのだけど、この時期だと蚊がスゴい
蚊に襲われながらも「この木が使えそう・・・」と切りました。
おかげで手はスゴいことに
ひとりだと寂しいので、あまり長居はせずに帰りました。
小さい椿の木を工房からの風で使う予定です。
東京に戻る前の晩、持って来ていた仕事をやっていると、窓に来客が・・・
(どちらもガラス越しなので、中には入ってません。)
東京じゃなかなか無いよな・・・こんなこと。
田舎の浜
そんなこんなで田舎工房化計画の第2弾も終了し、東京に帰って来た訳ですが、またしても体調不良
ひょっとすると田舎に帰ると普段飲まない量のビールを飲むからかも?
父に注がれるとやっぱり飲んでしまいます
おかげで仕事が全然進まない・・・
卸先にはご迷惑お掛けしております
工房からの風もどこまでイメージ通りに出来るかが・・・難しいとこです
長くなりましたが、このへんで近況報告を終えます。
2013-10-03 14:30
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コメント(6)
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加トちゃん、また大きく人生が変わる事になりそうだね⁉︎ でも、ご両親も安心なさるだろうし、ベストな選択だね。
親孝行な加トちゃんに感動☆
加トちゃんは、アドベンチャーだね! それがいつも成功してるし!
ずっと、応援してま〜す♪
by Shokohime (2013-10-04 02:21)
☆himeっぺ
ありがとぉ〜!(^o^)
おれの人生、行き当たりばったりだから・・・(笑)
行動しないで後悔するよりは、行動して後悔した方がまだマシだしね。
by 加ト (2013-10-04 09:18)
東京と新潟の行き来、たいへんご苦労様でした。
ご両親のそばについてあげることは、互いにいろんな面で安心かと思います。
必然だったからこそ、縁が縁を呼び、今回の工房化計画が進んだのではないでしょうか。
大変な面ももちろんあると思いますが、そういう時こそ家族の力て偉大と思います。
どうぞ体調には十分気を付けて頑張って下さいね。
また意外なところで伝説の地もご紹介していただいてびっくりです^^
(ウィリー事件のお近くとはまたw)
加トさんの今後の活動を楽しみにしています^^
by sacchin (2013-10-04 14:21)
☆sacchinさん
おやや、sacchinさんも藩士でしたか〜(^_^)
だるまやウイリーの現場はウチから車で4、5分のとこなんですよ。
ボクが革に興味を持って以来、ほんといい方とばかり巡り会えて、引き寄せられるかのようにこの世界に入りました。
いままで親には散々心配掛けてるので、こういう時には動かないとと思って見ました。
がんばりたいと思います。
by 加ト (2013-10-05 09:49)
はじめまして。
いつもblogを拝見させてもらっています、tamagoと申します。
今回のblogを読ませていただき、何かとても感動したので、初めてコメントさせてもらいました。*
私は今、フィレンツェの工房でカバン作りをしております。
日本に帰ったら、いつか加トさんにお会いしに、工房を訪ねられたらな~と思っております。*
これからの加トさんにも、さらに素晴らしい出会いがありますよう、心から応援しております!
お体に気を付けて、頑張ってください~*
by tamago (2013-10-06 01:14)
☆tamagoさん
いつもブログを見てくださり、またコメントいただきありがとうございまーす!
フィレンツェで鞄作りされてるということは・・・同じあの学校のインターンで行かれてます?
ボクもまた行きたくてウズウズしています。
日本にはいつ頃帰国されるのですか?
もしよかったら情報交換させていただけたらうれしいです。
aballi328@gmail.com
お互いがんばりましょ〜(^o^)
by 加ト (2013-10-06 11:23)