ご報告。および明日のイベントお知らせ。 [日記]
今日、田舎にやってきまして・・・
地元の市役所の支所に行き・・・
入籍しました
自転車友達の、荻谷優美子さんと結婚いたしました
そして明日8日に村上市山北地区大毎の国道7号線沿いで開催される「スノーマンがやってきた」という雪まつりイベントでボクたちの雪上結婚式をやります
雪のチャペルが出来上がってきました
2月8日「スノーマンがやってきた!」
○雪だるまづくり(10:00〜15:00)
(雪だるまコンテスト〜13:00、15:00審査発表)
○宝さがし(13:00〜)小学生以下限定
ABALLI商品も景品にあり!
○二月まき(14:00〜)
私たち2人がお菓子まき。
そして17:00からボクたちの雪上ウエディングがあります。
〆張鶴の振る舞い酒もありますので、みなさんぜひ遊びにいらしてください
お待ちしてます
「スノーマンがやってきた!」
https://www.city.murakami.lg.jp/site/kanko/snowman.html
あけましておめでとうございます。2015 [日記]
あけまして
おめでとう
ございます
旧年中はABALLIをご愛顧いただき誠にありがとうございました。
2014年は2つの大きな出来事がありました。
実家の新潟に新工房を作り、新たな生産体制を整え始めたこと。
そしてもうひとつは2度目の受賞となるJAPAN LEATHER AWARD 2014の受賞。
新工房
アワード授賞式
必ずしもすべてが順風満帆だったわけではなかったですが、次のステップによじ登れた感じの年でした。
そして新年の2015。
今年は2月に大きなイベントがあります。
といっても出店のイベントではありません。
私的なイベントです
出店イベントは1月下旬から3月いっぱいまで、また目一杯イベントを入れてしまいました
のちほどお知らせします。
そして、いま東京と新潟とを行ったり来たりで、半々ぐらいの生活をしていましたが、4月ぐらいから新潟工房をメイン拠点にし、ときどき東京工房に来る、といった感じになります。
量産体制が少しずつ整ってきているので、今年はなるべく多く新商品を出したいと思っております。
本年もABALLIをどうぞよろしくお願い申し上げます。
いよいよABALLI新潟工房スタート!求人募集!! [日記]
前の日記で田舎工房化計画のリフォーム工事完了までを書きましたが、箱が出来上がっただけでは工房とは言えません。
3月のお彼岸前にリフォーム工事が終わってからも、頻繁に田舎に通い、「工房」を作ってきました。
先ずは作業台のテーブル。
工事完了時にネットで試しに1台だけ買った激安のテーブルは、軽くて音が響いてしまい良くないことが分かったので、若干高めだけどしっかりずっしり重いテーブルを2台、IKEAで買って東京から運びました。
これで革を広げて裁断する事が出来ます
東京の工房では、狭過ぎて革を広げる事もできませんでした
仕事をするにあたり、インターネットは引かなきゃならないので、5月に工事をお願いしました。
これだけド田舎だとフレッツの一択のみとなります。
田舎工房化計画 その2〜工房スタートへ! [日記]
昨年のお盆の母の病気から始まった、一連の田舎工房化計画の動き。
Facebookでは報告してましたが、こちらのブログでは昨秋に動き始めたばかりの「田舎工房化計画〜その1〜」しかアップ出来てませんでした。
(ご覧になっていない方はよかったら↑読んでください。)
昨秋から今日までの動きをご報告させていただきます。
* * * * *
田舎工房化計画というのを立て、昨9月に譲っていただいたミシンと革漉き機を東京から運んできた時は、まだ小屋の中は何も手付かず状態でした。
というよりは、この時は小屋を工房にするつもりはそれほどなく、家の縁側に機械を置いてチマチマやろうかななんて思ってたほどでした。
でも話の末、小屋の1階を工房にすることになり、リフォームも視野に入れながら、まずは物を処分することから始めました。
網を処分するのは父。
鉛の重りを全て外さなければならないので、大変な作業な上、切ない思いもしたはずです。
父も医者から「仕事は辞めるべき」と言われながらも仕事をしてました。
母が病気になり復帰は見込めなかったので、父は仕事を辞める方向で、一部の網を残して大半を処分していきました。
ボクは月1、2回田舎に帰っては、その網などの処分品を軽トラに山盛りに積んで、処分業者に持っていったりしてました。
謹賀新年☆2014 [日記]
あけましておめでとうございます
旧年中はABALLIをご愛顧いただき誠にありがとうございました。
今年は体制を少しずつ強化し、より魅力的な革製品を発信してゆきたいと思います。
本年もABALLIをどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年は一昨年みたいな派手な事(受賞等)はなかったけど、少しずつステップアップしているかなという自分の印象でした。
そして、ここから大きくいろんな事が切り替わる・・・そんな予兆が見えた年でもありました。
ボクが3年前、ABALLIのブランドを立ち上げた個展のパーティーで、みなさんに公言した「4年後に小さくてもいいからきれいな花を咲かせたい」という言葉、自分でしっかり意識して過ごした3年間でした。
そしてあれから4年後になる今年、「花」=ショップ、工房という具体的な目標に向かって動き出せる状況が少しずつですが整いつつあります。
今年ははいろんな面で大事な年になりそうです。
昨年一年の体験を糧にして、今年は馬のように駆け抜けたいと思います。
今年もABALLIをどうぞよろしくお願い致します。
革工房アバッリ 加藤光也
【3年前の公言】
この数年は土地を開拓し、土を耕し、ABALLIという種を撒いてきました。
そしてようやく今日、小さな小さな芽を出したところです。
これから、成長は遅いかもしれませんが、少しずつでも確実に葉っぱ(商品)を増やしていき、みなさんにかわいがっていただけるよう成長してまいりたいと思います。
そして、4年後・・・
自分の目標として4年後には、小さくてもいいからきれいな花(お店、工房)を咲かせたいと考えています。
今年は二の酉で鷲神社 [日記]
酉の市では毎年欠かさずに行く、うちの近所の島根 鷲(わし)神社。
もちろん普段もちょくちょくお詣りしてます。
酉の市で鷲神社って書くと、いつも入谷の鷲(おおとり)神社だと勘違いされることが多いのですが、ボクは地元の鷲(わし)神社をとても大事に思ってます。
それはさておき、今年の一の酉は名古屋に行ってたので、今日の二の酉に行ってきました(行ってきましたってほどの距離じゃないんですが。)
毎年快晴のイメージがある酉の市・・・今日は二の酉だからかな?
お詣りしていつもの小さくて質素な熊手を買い・・・
甘酒はやっと今出来たかな?っていう甘酒を、味見を兼ねてボクが一番にいただきました
今年もこの時期になったか・・・
一年って早いなぁ・・・
さて、ボクは明日からまた田舎に少し帰ります。
田舎工房化計画の第3弾です
といっても大した事はしないけどね〜
田舎工房化計画 〜その1〜 [日記]
最近ブログのアップが滞りがちな訳ですが・・・
実は今年のお盆を境に、プライベートでも仕事でも目まぐるしくなりまして・・・
頻繁に田舎へ帰ったりしています。
それはお盆に帰省した初日のことでした。
新潟駅で乗り換え時間に母親に電話したところ、具合の悪い声で「いま(近所の)病院で点滴受けている」とのことでした。
実家に着いて少しすると、病院からで「新潟市内の病院へ緊急移送しなければならない」との連絡が。
病院へ行ってみて母の様子を見て、これはただ事ではないと感じました。
田舎から新潟市内へは100km。
救急車だと2回乗り継がなければならないようで、車で向かった方が早いということになり、義姉がワゴン車で連れて行き、ボクと父は別の車で・・・
そんな不安なお盆を過ごして一旦東京へ戻ってきました。
その2週間後に手術とのことでボクもまた新潟の病院へ行きました。
手術の結果は期待するものではありませんでした。
母は自分の(魚の)行商の仕事と、父の漁の手伝いの仕事で、お盆までは忙しく仕事をしていたのですが、もちろん仕事はもう完全に無理になってしまいました。
父も心臓が弱っていたので、一人での漁には不安があり、仮に漁に出ても港でセリに出す仕事をする人がいなくなったわけで、結局父も漁師の仕事を断念することになりました。
お盆前にあり得ないぐらいの甘鯛が連日獲れていたので、父の心中を察すると寂しく思いました。
ウチの船の操縦室
そんな訳で両親共々、急に仕事を辞めざるをえない状況になり、外装をリフォームしたばかり家の裏の網置き場の小屋を「もったいないなぁ〜」と母が言っていたので、「それなら自分が工房にする」という流れになりました。
外装リフォームしたばかりの家の裏の小屋
実は今年のお盆を境に、プライベートでも仕事でも目まぐるしくなりまして・・・
頻繁に田舎へ帰ったりしています。
それはお盆に帰省した初日のことでした。
新潟駅で乗り換え時間に母親に電話したところ、具合の悪い声で「いま(近所の)病院で点滴受けている」とのことでした。
実家に着いて少しすると、病院からで「新潟市内の病院へ緊急移送しなければならない」との連絡が。
病院へ行ってみて母の様子を見て、これはただ事ではないと感じました。
田舎から新潟市内へは100km。
救急車だと2回乗り継がなければならないようで、車で向かった方が早いということになり、義姉がワゴン車で連れて行き、ボクと父は別の車で・・・
そんな不安なお盆を過ごして一旦東京へ戻ってきました。
その2週間後に手術とのことでボクもまた新潟の病院へ行きました。
手術の結果は期待するものではありませんでした。
母は自分の(魚の)行商の仕事と、父の漁の手伝いの仕事で、お盆までは忙しく仕事をしていたのですが、もちろん仕事はもう完全に無理になってしまいました。
父も心臓が弱っていたので、一人での漁には不安があり、仮に漁に出ても港でセリに出す仕事をする人がいなくなったわけで、結局父も漁師の仕事を断念することになりました。
お盆前にあり得ないぐらいの甘鯛が連日獲れていたので、父の心中を察すると寂しく思いました。
ウチの船の操縦室
そんな訳で両親共々、急に仕事を辞めざるをえない状況になり、外装をリフォームしたばかり家の裏の網置き場の小屋を「もったいないなぁ〜」と母が言っていたので、「それなら自分が工房にする」という流れになりました。
外装リフォームしたばかりの家の裏の小屋